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長野地方裁判所 昭和42年(ワ)93号 判決

原告 武井高平

〈ほか一名〉

右両名訴訟代理人弁護士 相沢岩雄

被告 三鈴工機株式会社

右代表者代表取締役 打田金男

右訴訟代理人弁護士 江口保夫

同 島林樹

同 三善勝哉

右訴訟復代理人弁護士 本村俊学

同 宮田量司

被告 高橋信作

〈ほか一名〉

右両名訴訟代理人弁護士 本多彰治郎

右訴訟復代理人弁護士 安江邦治

主文

一、被告高橋信作および同高橋昭雄は、各自原告武井高平に対し金二二六万九、〇〇〇円および内金二〇六万九〇〇〇円に対する昭和四二年三月二七日から完済まで年五分の割合による金員、原告武井くにに対し金二四三万円および内金二二三万円に対する昭和四二年三月二七日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告らの被告高橋信作および同高橋昭雄に対するその余の請求ならびに被告三鈴工機株式会社に対する請求をいずれも棄却する。

三、訴訟費用は、原告らと被告三鈴工機株式会社との間で生じた分は原告らの負担とし、原告らと被告高橋信作および同高橋昭雄との間で生じた分はこれを二分し、その一を原告らの、その余を右被告両名の各負担とする。

四、第一項は仮に執行することができる。

事実

≪省略≫

理由

一、被告昭雄が、昭和四二年三月二六日午前五時五分頃、被告車を運転し、東京都品川区荏原一丁目一七番地二号先道路を川崎市から東京都新橋方面に向い進行中、進路前方高速道路上リ口側壁に被告車を衝突させ、よって被告車左助手席に同乗中の守彦が受傷し、翌三月二七日午後一時頃右傷害により死亡するに至ったことは、当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によれば、被告昭雄は事故現場から約五〇〇メートル手前の道路両側にタクシーが数台駐車していたのを見た後衝突するまでの間の記憶が全くないことが認められるので、事故の態様に照らし、仮睡状態に陥り前方注視を怠った過失により本件事故を惹起したものと認められる。

二、次に、被告信作の責任について判断する。

被告信作が、被告昭雄の父であり、また被告車の保有者であることは当事者間に争いがなく。≪証拠省略≫によれば、被告信作は、三台の自動車を所有し、左官業の営業用(このためには主として被告信作の長男および従業員が運転にあたっていた)および自家用(たとえば、行楽の際などは被告昭雄も運転していた)に使用していたが、被告昭雄が自分だけの用に数回使用した際にもその使途について明確に了知していないこと、鍵の保管も特に厳重にしているわけではなく、誰でもとれるようなところに掛けておいていることが認められ、また、本件に際しては被告信作の外出中に被告昭雄が無断で持ち出し運転していったことが認められるのであるが、右各本人の供述に徴しても、被告昭雄が特に厳しく被告信作から禁止されているのにこれを犯して被告車を持ち出したという意識がうかがわれず、被告信作についても同様であって、これらのことから考えると、被告信作は、本件運行に関し、被告車の運行供用者たる地位を失うまでにはいたっていないと認めざるをえない。

三、さらに、被告会社の責任について判断する。

まず、原告らは、本件事故が、被告会社の被用者である被告昭雄の業務執行中に惹起されたものである、と主張する。

≪証拠省略≫によれば、守彦はコンベアの製造販売を業とする被告会社東京営業所の営業係として、横浜市にある東洋木材企業株式会社との間にローラーコンベア設置を契約し、その設置に伴なう補足作業を右会社の稼動時間との関係から、本件事故前日である昭和四二年三月二五日(土曜日)の夕刻から同月二七日の朝までに完成させることを取り極め、同じ東京営業所の設計係として親友であった被告昭雄にも右補足作業の手伝いをしてもらうように予じめ依頼していたこと、たまたま三月二六日の昼には同営業所の工務係長であった下地昭夫の結婚式に両名とも招待されていたところから、その前に作業を終えてしまおうということになり、三月二五日夜八時頃打合せて右訴外会社へ行くことにしたこと、その際守彦が被告昭雄に自動車を運転してもらうよう依頼したのではなく、被告昭雄がそのほうが便利であろうと考えて自分から被告車を持ち出して守彦を同乗させていったこと、そして、右作業を終っての帰途に本件事故が発生したこと、一方、同営業所には備付けの車両がなく、従業員は業務上の必要があるときは、会社から三〇〇〇円のタクシー代を支給されていてそれを使用することになっていたことが認められ、右認定の事実によれば、被告昭雄は、被告会社の指示あるいは承認を得て被告車を使用していたものではなく、かつ事故発生がすでに作業終了しての帰路においてである(右補足作業は、もともと被告昭雄の担当業務ではなく、被告昭雄は単なる補助者であるから、被告会社の業務執行という観念は、作業中においては肯定できるとしても、その終了後においてはこれを認めることはできないというべきである。)ことからいって、本件事故は被告昭雄の業務執行中に惹起されたものということはできない。

また、原告らは、被告会社をもって被告車の運行供用者であると主張し、被告昭雄本人は、本件事故の一か月ほど前に、被告信作所有の乗用車を同営業所長がアメリカから帰国するのを出迎え、これをホテルまで送るために使用したことがあると供述するが、右本人尋問の結果によれば、右の出迎えに乗用車を使用することは会社から指示されたわけではなかったが、たまたま車で迎えたために自然にホテルまで送るようになったことが認められ、ホテルに送る段階においては被告会社の運行供用者たることを肯認し得なくもないが、このことと本件事故に際しての被告車の使用とが同じ性格をもつとは認められず、前記認定のような事実関係のもとにおいては、被告会社は被告車の運行に関し支配ないし利益を有していなかったと認めるほかはない。

そうすると、被告会社に対する原告らの請求は、その余の点を判断するまでもなく、失当として棄却を免れない。

四、損害

1  守彦の得べかりし利益の喪失

守彦が本件事故当時二四年(昭和一八年一月五日生)で、被告会社に勤務していたことは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫によれば、守彦の昭和四二年一月分から三月分までの給与の一か月平均額は三万二八一三円であることが認められ、被告らは約三万三〇〇〇円であるとしているので、三万三〇〇〇円の月収(年額三九万六〇〇〇円)を得、以降も守彦の稼動可能期間は、右と同額の収入を得るものと認める(賞与額については立証がないので特に考慮に入れない)。

そして、右収入に対する守彦自身一か月の生活費を一万四〇〇〇円(総理府統計局「家計調査年報」によると、昭和四二年における勤労者一世帯あたり平均一か月間の支出は、世帯人員四・〇四人につき五万八七六三円、一人当り平均一万四五四五円であることを参考にした)を控除して、月額一万九〇〇〇円(年額二二万八〇〇〇円)の利益があることになる。

ところで、厚生大臣官房統計調査部昭和四二年簡易生命表によると、二四才男子の平均余命は四七・三三年であるから、守彦はその範囲内において六三才までの三九年間稼動できるものとして、その間の利益をホフマン式計算法により年五分の中間利息を一年毎に差引いて本件事故発生の一時払額に換算すると、四八五万八四九七円となり、守彦は右同額の損害を蒙ったものというべきである。

2  原告らの物的損害(葬儀費用および弁護士費用)

原告高平本人尋問の結果によれば、原告高平は守彦の父として、その葬儀を行ない、その費用として、合計六万一〇〇〇円を支出したことおよび被告らとの損害賠償の話合いがまとまらなかったために、原告らが昭和四二年七月一日弁護士相沢岩雄に被告らに対する本件訴訟を委任し、同日着手金として各五万円あて計一〇万円を支払い、また謝金として各二五万円宛計五〇万円の支払を約したことが認められる。

3  原告らの精神的損害

原告両名各本人尋問の結果によると、守彦は原告らの長男として出生し、健康体で、関東学院大学工学を卒業後昭和四一年一〇月被告会社に入社し、爾来機械設計技術者として勤務し、木材業を営むが生計の豊かとはいえない原告らのために月々五〇〇〇円位仕送りしてき、原告らも守彦の将来に期待していたこと、本件事故で守彦の死に目にも逢えずにこれと死別し、多大の精神的苦痛を感じていることが認められ、これに対して慰藉料はそれぞれ一五〇万円とするのが相当と認める。

4  原告らが守彦の相続人であることは当事者間に争いがないから、原告らは守彦の得べかりし利益の喪失による損害賠償請求権を各二分の一あて相続により取得したものというべきである。

五、ところで、被告信作および同昭雄は、本件事故がいわゆる好意同乗にあたり、かつ守彦は本件事故発生に潜在的に寄与しているとして、損害賠償額算定にあたりこの点を斟酌すべきであると主張するので、この点について判断する。前記のように、被告昭雄は自ら進んで被告車を運転してこれに守彦を同乗させ、東洋木材企業株式会社における守彦の担当作業を手伝ったのであるが、被告昭雄本人尋問の結果によると、右作業は特に重労働というものではなかったが、事故前日の午後一一時頃から当日午前四時頃まで休みなく行なわれたにも拘らず、作業終了後二〇分位休憩しただけで再び被告車によって帰路についてこと、その際守彦は、もっと休息時間をとったり、あるいは疲労しているからといって運転を中止するよう勧告をすることなく、また乗車中本件事故発生二〇分位前に眠くなったからといって自分は寝入ってしまったのであるが、その際にも被告昭雄に対し運転に関し何らの注意をすることをしなかったこと、事故後入院中に守彦は被告昭雄やその家族に対し恨みがましいことをいわず、むしろ被告昭雄の身を案じていたこと(ただし、これが被告昭雄に対する宥恕もしくは免責の意思表示であったとまではみることはできない)が認められ、本件事故発生については守彦においてもその発生を未然に防止すべく被告昭雄に警告する配慮を欠いていた点に一半の責任を負担すべく、また、守彦と被告昭雄との交友関係や本件同乗の状況からみて、守彦や原告らに生じた損害の全部を被告らに負担せしめるのは衡平を欠くというべきであり、前記諸事情を勘案して、被告昭雄および同信作の賠償すべき損害額を、(イ)守彦の得べかりし利益の喪失分四八五万八四九七円のうち三五〇万円、(ロ)原告高平の支出した葬儀費用六万一〇〇〇円のうち五万円、(ハ)原告らの負担した弁護士費用の着手金各五万円のうち各三万円合計六万円、謝金各二五万円のうち各二〇万円合計四〇万円、(ニ)原告らの慰藉料各一五〇万円のうち各一二〇万円と定める。

そうすると、被告昭雄、同信作の賠償すべき金額は、原告高平に対し合計三二三万円、原告くにに対し合計三一八万円となる。

六、ところで、原告らが、本件事故により自賠法による保険金一五〇万円(被告らは、一五七万九六四八円であると主張するが、これを認める証拠はない。)を受領したことは当事者間に争いがなく、また、≪証拠省略≫によれば、被告昭雄は本件損害賠償金の内金として、合計二一万一〇〇〇円を原告高平に支払っていることが認められるので、これらを控除して、原告昭雄および同信作は、被告高平に対し二二六万九〇〇〇円およびうち弁護士に対する報酬分を除く二〇六万九〇〇〇円に対する本件事故発生の日の翌日たる昭和四二年三月二七日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金、被告くにに対し二四三万円およびうち弁護士に対する報酬分を除く二二三万円に対する右同旨の遅延損害金を支払う義務がある。よって、原告らの被告昭雄および同信作に対する請求は、右限度において正当として認容し、その余を失当として棄却すべきである。

七、よって、民訴法八九条、九二条、九三条、一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 西山俊彦)

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